カンタベリー大聖堂は大司教トマス・ベケットの人生に纏わる物語、ジェフリー・チョーサー著のカンタベリー物語という話に出てきます。カンタベリー(canterbury)はイギリスにあり、カンタベリー大学やカンタベリーティーハウス、カンタベリー城と秘密の扉、城、大主教などがあります。
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カンタベリー(Canterbury)はイギリスにあります。イングランドの大主教座都市と言われる都市で、人口は四万人を超えるくらいです。場所はケント州東部というイギリスの南東な位置する部分にあります。色々な遺跡があることで有名な都市で、その遺跡は青銅器時代のものや、新石器時代のものが見つかっています。新石器時代は何年くらい前のことをさすかというと紀元前8500年前から10000年も前の時代の事で、それくらいの時代から人類は様々な文化を築いていたことが証明されています。
カンタベリー文明を築いていったケルト人の首都があったと考えられています。その時代の後にはカンタベリーはローマ軍に侵攻され、ついに乗っとられてしまうのでした。そしてローマ軍によってカンタベリーはDurovernum Cantiacorumと言われるようになりました。
その後カンタベリーはアングロ・サクソン人によって支配されました、5世紀ぐらいのことです。6世紀になると、アングロ・サクソン人という種族が、ブリタニア(グレートブリテン島)に王国を造るのでした。
教皇グレゴリウス1世は修道士団をブリタニア伝道に赴きさせました。これを遂行した重要人物が修道士アウグスティヌスだそうです。この時特に大きな問題は起こらず、ケントの王であるセルバートはこの伝道を受け入れ、ブリタニア布教は広く伝わることになり、カンタベリーはその中心となっていきました。
そのブリタニアの司教は西暦601年アウグスティヌスが勤めることになりました。そうしてイングランドにはカンタベリーを拠点としてキリスト教が栄えていくのでした。イングランドはノルマンディー公ギヨームによって侵攻されたり、様々な苦境に陥ることになりましたが、カンタベリーではキリスト教の力はどんどんアップしていきました。1100年くらいになると、ウィリアム2世と戦争を行い、大司教はピンチに陥り亡命をしてしまいました。
大司教はそれからも戦いに巻き込まれ、カンタベリーと大司教トマス・ベケットは、ヘンリー2世と戦いを起こし、結局亡命するはめになってしまいました。トマス・ベケットは亡命したのだが、結局帰国し、カンタベリー大聖堂の中で祈っているところを暗殺されてしまいました。祈っている時に殺されるなんて何のための神なんですかね。それをローマ教皇は殉教したとしています。殉教なんて言葉があるんですね。名誉なことなのでしょうか、トマスベネット殉教の地としてカンタベリーは有名になりました。トマスベネット殉教の日はカンタベリー詣と言われるようになり、巡礼者はカンタベリーをその日に訪れるようです。このカンタベリーの話はジェフリー・チョーサーの「カンタベリー物語」というものが本になっています。